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三富開拓地割遺跡

更新日:2015年8月4日

  「三富開拓地割遺跡さんとみかいたくちわりいせき」は、現在の所沢市中富なかとみ下富しもとみと入間郡三芳町上富かみとめに残る江戸時代に行われた新田開拓の地割跡で、埼玉県の旧跡きゅうせきに指定されています。
 開拓以前の三富地域には、広大な萱野原が広がっており、周辺の村々の入会地いりあいちとして、肥料を作る落葉や馬のエサとなる草、燃料にする薪などを取るために共同で利用され、村の生活を支える大切な場所になっていました。しかし、江戸時代に入ると武蔵野の新田開発が急速に進み、次第に狭められる入会地をめぐる争いが起こるようになります。
 元禄7年(1694年)、川越藩主となった柳沢吉保やなぎさわよしやすは、長年争いを続けてきた入会地が幕府によって川越藩領と認められたため、家臣の曽根権太夫そねごんだゆうらに命じ、「地蔵林」(現在の三芳町上富「木ノ宮地蔵堂」付近)を中心とした周辺地域の開拓に着手しました。元禄9年(1696年)5月には開拓地の検地が行われ、上富・中富・下富の三村が誕生します。なお、開拓地の名に「富」の文字を付けたのは吉保で、これは「論語ろんご子路篇しろへん」からとったものと伝わります。また、吉保は、入植者を求める一方で、開拓農民の心の拠り所とするため、菩提寺として多福寺たふくじを、祈願所として毘沙門社びしゃもんしゃ(別当寺 多聞院たもんいん)の一寺一社を創建しました。
 開拓地割は、幅六間(約11メートル)の道路を縦横に作り、この道路に面して、農民一戸あたりに約五町歩(約5ヘクタール)の短冊型の耕地を配分しました。そして、道路に面した表口を屋敷地とし、その後方に畑を、さらにその後方には雑木林を配置し、ここから燃料となる薪、肥料用の落葉や下草を確保させました。
 上富村では、南北方向の六間道に面して、間口四十間(約72メートル)、奥行三七五間(約675メートル)の区画を基準とし、地割は東西方向に短冊状に広がっています。一方、中富村では、村の中央の六間道が東西方向に延びていて、地割は南北方向へ短冊状に広がっています。一戸分の面積平均は、上富・中富・下富とも同じですが、中富の間口は上富よりも狭く、その分奥行が長くなっています。また、季節風が南北に吹くため、中富では両隣の畑との境木はなく、代わりにおよそ五畝に区切られた畑ごとに畑の土が飛ばされないように、ウツギや茶の木が植えられています。しかし、地割が東西方向に広がる上富では、ウツギや茶の木は、隣地の畑との境に沿って植えられています。同じ短冊型の耕地ですが、境目がなく広大に広がる上富の畑地と、畑が正方形に近い区割りの中富では、少し違った印象を受けます。

【指定年月日】昭和37年10月1日
【所在地】所沢市中富・下富

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