天正十九年中根伝七郎宛徳川家康朱印状

更新日:2021年4月30日

 この朱印状は、徳川家康が関東へ入国した翌年の天正19年(1591年)5月3日に、家臣の中根伝七(伝七郎、正重まさしげ)に対して、久米郷(現在の所沢市久米)の内に知行ちぎょう地200石を与えるとする知行宛行状あてがいじょうの原本です。
 内容の書かれた本紙と、それを包んでいた包紙ほうしが残されています。本紙は、奉書紙ほうしょがみ料紙りょうしを二つ折りにした折紙おりがみと呼ばれる形式で、上半分に内容が書かれ、日下(日付の下方)に家康の印判である「福徳」と刻された朱印が捺されています。
 市内の朱印状は、いくつかの寺社に朱印地(年貢免除地)を認めるものが残されていますが、旗本への知行宛行状はほとんど残っておらず、極めて貴重な資料です。
 中根氏は旗本として、江戸時代を通じて久米村の一部を知行地としていました。中根正重は42歳で亡くなった後、市内久米の長久寺に埋葬され、現在も同寺に残る墓は「旗本中根氏の墓」として、市指定文化財になっています。
【指定年月日】令和3年4月30日

読み下し文(本文のみ)
「武蔵国久米の郷の内をもって、二百石を出し置くものなり、よって件の如し」

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