平成30年5月号 本堂 杏実 さん(アルペンスキー選手)

更新日:2018年5月21日

プロフィール

本堂杏実ほんどうあんみさん

松郷在住。平昌パラリンピック日本代表。
今年3月、平昌パラリンピックアルペンスキーの立位・女子回転で8位入賞。
ラグビーからスキーに転向し、本格的に競技を始めてから約1年半でパラリンピックへの初出場を果たした。
牛沼小学校・東中学校出身。現在も市内の自宅から大学に通う。

ラグビーからスキーへ。パラリンピックでメダルを!

ゴール後に思わず出たガッツポーズ。
平昌パラリンピック最終日、アルペンスキーの立位・女子回転で、本堂杏実さんは今シーズン一番の滑りを見せた。
立位スキーの日本勢出場が2006年のトリノ大会以来という中で、8位入賞という成績は、障害者スキー界の大きな収穫でもある。
「一番苦手な種目だったのですが、前日に村岡(座位スキーで5つのメダルを獲得した村岡桃佳さん)と、『失敗してもいい。悔いを残さないように思いっきり行こう!』と話していたんです。でも、自分でもびっくりの成績でした」
パラリンピックを目指し本格的にスキーを始めたのは、わずか1年5カ月前のこと。
もともと、ラグビーで日本一を目指してきた本堂さんは、意外なほど小柄できゃしゃな印象だ。
帰国後すぐにばっさり切ったというショートボブの髪を揺らして表情豊かに話し、よく笑う。

先天的に左手の指がないことをものともせず、子どもの頃からあらゆるスポーツをしてきた。
テニス、ボクシング…
バク転をしてみたいから器械体操、目標を達成したら次のスポーツ、と興味があるものには何でも取り組んできた。
本人にも数えきれないくらいのチャレンジを支えてくれた親に感謝しているという。

その中で、ずっと続けてきたのがラグビー。
「自分より大きな相手を倒せると、気持ちいいんです」。
5歳の時、父の影響で当たり前のように始めた。姉も弟もラグビーを習い、家にはタックルバッグがあった。
父の熱血指導のおかげで頭角を現し、小学5年生で関東選抜のユースチームへ。
日本体育大学への進学も、ラグビーで日本一を取るためだった。

大学入学後、「スキーでパラリンピックに出ないか」と勧められて、パラスキーに転向。
慣れない義手を支え、左右のバランスを取るための筋肉をつけるなどして、著しい成長を見せた。

パラスキーの魅力は、障害の部位や程度に関係なく、全ての選手が同列で競えること。
障害に応じて細かく定められた係数が、タイムに加味されて順位が決まるので、早い選手が勝つとは限らないし、障害が軽いから有利な訳でもない。
最後まで順位が分からない面白さを多くの人に見てもらい、知ってほしいという。


4年後の北京パラリンピックでのメダル獲得が目標、と明言する。
「今大会でもトップまでのタイム差は20秒以上。あと4年で追いつこうとすると、1年に5秒以上記録を伸ばさなくては」。
屈託なく話す笑顔を見ていると、この人ならできる、と思えてくる。

「平昌からの帰国時、深谷市の『ふっかちゃん』が村岡を出迎えに来たんです。私もトコろんに会いたかったなあ」。
4年後、トコろんだけでなく所沢を挙げて本堂選手のメダル獲得を祝う日が来る。
信じて応援しよう。

(取材:加賀谷)

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